1961-1973

1961 - 1963

光葉スチール株式会社設立
そして、〈スチール製ロッカー〉の誕生

ソ連〈ヴォストーク1号〉打ち上げの年。ガガーリンが大気圏外から地球を見て「地球は青かった」と発言し、世界に未来への希望が芽生えた年に光葉スチールは設立されました。
そして〈スクールロッカー〉誕生のきっかけは、長野県松本市にある私学高等学校からの「生徒用ロッカーを作ってほしい」という要望でした。木造校舎で木製ロッカーが主流だった時代に、キズがつきにくく、耐久性・耐火性に優れたスチールロッカーの可能性に先見の明で挑みます。1965年頃、大手オフィスメーカーが〈スチールデスク〉の販売をはじめました。そのなか光葉スチールはいち早く〈スクールロッカー〉と名づけた製品〈Y2-6L〉を開発・製造したのです。

スチール製ロッカー
創業当時の工場外観
創業当時のスクールロッカー
コヨボックスのカタログ
1965

全国2社目となる郵政省指定工場に
郵便受け箱を沖縄から信越まで

業務効率化と正確性の向上を望む郵便配達員の声から、日本郵政公社が全国の家庭に郵便受け箱を斡旋。光葉スチールは、郵政省標準規格品である郵便受箱の製造工場として、全国2社目となる郵政省指定工場になりました。東京都足立区の株式会社中庄工場と二分し、沖縄から信越までの西日本に向けて郵便受け箱の製造・販売をしました。
また、今では見慣れた横型の郵便受け箱を考案したのは、じつは光葉スチールです。当時は縦型が主流でしたが、横型の方が入り口が広く、使い勝手が良くなることを見据えての提案でした。光葉スチールの先見の明が光り、日本初の横型受箱が誕生したのでした。

薄水色の郵便受け箱
赤色の郵便受け箱
郵便受け箱のカタログ
水色と赤色の縦型郵便受け箱
SPECIAL CONTENTS 01
鋼板と鋼板を扱う作業者の手

光葉スチールものづくりの流儀義

課題の解決力を武器に

一般的なスチールロッカーは〈みがき鋼板(SPCC)〉ですが、その約13倍の耐食性をもつ〈ボンデ®︎鋼板(SECC)〉と、さらに約130倍の耐食性を誇る〈ZAM®︎鋼板〉を扱うきっかけは、創立時に沖縄に届けた郵便受け箱でした。
「潮風でサビてしまう」という海沿いの地域ならではの課題は、海のない信州では考えられない悩みでした。
製品のおかれる環境は千差万別。エンドユーザーの悩みにとことん寄り添い続けて、試作の労を惜しまず解決する姿勢は、変わらない光葉スチールのポリシーであり強みなのです。

1974-1989

1974

スペースに合わせて自由に組み立てられる
〈ブロックロッカー〉を開発

大阪営業所の開設と同時に、〈ブロックロッカー〉の開発に着手。この製品は、生徒がロッカーを購入し、設置するスペースに自由に組み立てられるモジュール方式でした。クラス替えをする場合は組み立てなおすことができ、卒業後は持ち帰って各家庭で使われていました。また、この頃、銃保管庫や農薬庫のカタログも登場しました。

当時の工場内観の様子
農薬保管庫カタログ
ブロックロッカーカタログ
1975

多品種・少ロットにも誠意を尽くした設計・試作

この頃、初めて学校建築に合わせた教室用生徒ロッカー〈ユニフォード〉を発売しました。学校用ロッカーでは、育ち盛りの汗臭さを除去する強力脱臭剤のホルダーを装備し、そのホルダーを限りなく薄くして使い勝手を良くしたのも、光葉スチールの試作にかけるフットワークの良さならでは。
大手メーカーにも定番のスチール製品はありましたが、学校によって異なるサイズや仕様などの要望に細かく応えながら、納得いくまで仕上がりを追求する光葉スチールの姿勢が、信頼を積み重ねていきました。

工場内観の様子
工場内観の様子
コヨボックスユニフォードカタログ
工場内観の様子
1980〜

製品群の充実、
そして、会社・工場規模の拡大

当時の精鋭営業部隊による粘り強い新規開拓営業が実を結び、昭和50・60年代にかけて、納期に追われ続ける日々でした。社内の設計・試作部門においても、お客様の難しい注文に対して、決して「できない」とは言わずにトライをするなど、社員一人ひとりの戦いの日々が続きます。
そして、創立20年を迎えた1981年の翌年には18号バイパス倉庫を竣工、1988年には塗装工程を内製化することで、製造の一貫体制を構築しました。
また、スキー用具ロッカーや国内初の〈防塵保護具保管庫〉の販売など、バラエティー豊かな商品が登場したのもこの頃でした。

工場内観塗装ラインの様子
工場内観塗装ラインの様子
スキー・スキーブーツロッカー
防塵保護具保管庫
special02
板金曲げ加工の様子

光葉スチールものづくりの流儀義

ニッチな市場に活路を見出し
細かな要望に試作を重ねる熱意

かつては、たったひとつの製品を生み出すために、夜明けまでかかって何度も試作を重ねる社員の姿がありました。大手では目を向けない小さなシェア、いわばニッチな市場に自分たちの仕事を見出し、労を惜しまずにお客様の要望にとことん寄り添う姿勢、お客様の満足を最優先する姿勢が財産となって、ひとつずつ業績を積み上げていったのです。

1990-2008

1993

新たな挑戦と、
八幡工場の新設

バブル崩壊の直前でもあり景気が落ち込むなか、消防署という新たなマーケットを参入したことにはじまり、新たなニーズとシェアの拡大を図り、八幡工場の新設による生産体制を拡充しました。

工場外観の様子
工場内観塗装ラインの様子
間伐材を使用したテーブル・ベンチ
工場内設備の様子
1995

消防署員の勤務形態に合わせて
回転式ロッカーの技術開発

この年、今なお主力商品のひとつである〈防火服ロッカー〉が誕生します。1995年、飯綱町の消防署と信濃町分署にボンベなどの保管庫を納品していた実績から、光葉スチールに相談が寄せられたのです。
当時は、防火服や装備を素早く身につけられるように、ひとつずつ保管しておくオープン型ロッカーでしたが、消防署員の2交替や3交替の勤務形態に合わせて、ぐるりと仕切り板が回る型を進化させ、利便性も向上させました。
この実績により、日本全国各地へと販路が拡大したのです。

消防署防火服ロッカー
消防署用カタログ
消防署防火服ロッカー
1998

〈競技用ライフル銃保管庫〉が
冬季オリンピックで採用に

第18回冬季長野オリンピック大会では、クロスカントリースキーとライフル射撃を組み合わせたバイアスロン競技で、光葉スチールの〈ライフル保管庫〉が採用されました。
銃保管庫は、銃砲店や猟友会などの需要が今も続いている主力製品のひとつです。

ライフル保管庫
銃保管庫カタログ
工場外観
special03
塗装ライン、製品が並ぶ様子

光葉スチールものづくりの流儀義

地球にやさしい塗装技術導入に至る
アナザーストーリー

2007年に八幡工場内に粉体焼付塗装設備が完成。塗装を内製化することで、製品の良し悪しを決める塗装の技術を継承でき、製品の価値を決める大切な塗装工程も自社で一貫してできるようになったのです。
そんな歩みの礎にあったのは「シンナーを使わない粉体焼付塗装という工法でなら、地球にやさしく学校関係へ自信をもって提供できる」という私たちの考えでした。のちに間伐材を使ったロッカーも開発され、自然を享受するものづくりの根幹は今も引き継がれています。

2009-2021

2009 -

時代の苦難を乗り越えて

前2008年のリーマン・ショック、2011年には東日本大震災、2019年には世界的感染症の拡大など、身のまわりの環境に急速な変化が訪れました。
そんななか、「社会の変化とお客様のニーズに即した製品を提供する」という心がまえで、小さくとも心ある会社でありたいと、技術の継承と改革を胸に、新たな挑戦に向かって歩みつづけます。

曲げ加工機と作業者の後ろ姿
板金加工品と寸法を図る作業者の様子
木材を使ったロッカー製品
製品カタログ表紙

光葉スチール 未来へ For the Future

“人間力”の継承と
改革と挑戦

大手では決して受けない多品種・少ロットの製品を手がけ、労を惜しまず知恵を出し合い作り上げることが光葉スチールの強みです。お客様が望まれる製品を提供するため、営業・開発・製造すべての部門がひとつになって進んでいきます。
そして、光葉スチールは社員とともに社会的責任を果たし、よりよい未来を拓くさらなる努力を重ねてまいります。

お問い合わせ ロッカーの導入、
更新をお考えの方は
ぜひご相談ください

学校やスポーツ・温浴施設、消防署などでお使いいただける製品を、
スタンダードからオーダーメイドまで幅広くご提案いたします。

受付時間 平日8:30〜17:30

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